クローズアップ現代「被災自治体を救え”超広域災害の衝撃”」3月28日放送 を視聴。

番組要旨

広域災害の影響

岩手県大槌町。町役場では地震直後の対策会議中に、津波によって町長、職員の多くが行方不明となった。その後、町は高台の公民館に災害対策本部を設置。町長の代わりに副町長が指揮を執り、残された職員は住民の安否確認作業に追われる。

避難所を担当する職員は20人だが、町内には40箇所の避難所に5000人が避難。職員は各避難所での要望を聞くが、その場で回答することができない。

大槌町は大規模災害時に、近隣市町村から救助隊や医療チームの応援を受けられる協定を結んでいたが、東日本大震災では災害が広範囲に及んでいたため、十分な支援が受けられなかった。また、近隣市町村からの支援が不十分になる場合に、さらに岩手県に応援を要請することにもなっていたが、県にも多くの自治体からの支援要請があり、一度にすべての自治体を十分に支援することができず、大槌町にも限られた支援しかできなかった。

町では、地域防災計画で災害時の職員の業務を125項目にわたって定めていた。
全職員の4分の1と連絡が取れない中、残された職員でこれらの業務を行うことになり、町の災害対策本部では深刻な人手不足に見舞われていた。総務課の主幹は、災害対策の責任者の一人である総務課長が災害で亡くなり、代わりに指揮を執ることになった。

人手不足の中で被災者の要望に十分に答えることは容易ではなく、情報が交錯する中で職員は必死の対応を続けていた。

また、専門知識のある職員が減ってしまい、現場に大きな負担を与えている。仮設住宅の設置については、土木を担当する課の職員とは全員連絡が取れず、代役として担当するのは企画財政課の職員。届いた仮設住宅の大きさが予定と異なり、急遽別の土地を探して何とか設置にこぎつける場面も。本来は専門の幹部職員と慎重に検討したい事項も、現場の判断で行う。

関西広域連合の災害支援の取り組み

関西地域近隣の7府県が、さまざまな行政サービスを連携して効率的に行うために2010年12月に発足。
連合では、各府県ごとに支援する県を担当。
岩手…大阪・和歌山
宮城…兵庫・鳥取・徳島
福島…滋賀・京都
兵庫県の職員は宮城県庁の災害対策本部で行われる会議に毎回出席し、どのような支援が必要かを兵庫県に伝える。また、県内自治体から医療、福祉、瓦礫処理などの専門家を集め、派遣。
兵庫県から派遣された、ある町職員は、台風災害で避難所を運営した経験から、避難所運営支援を行う。300人以上が避難していた石巻市のある避難所では、開設してから13日間、2人の市職員だけで24時間体制で運営していた。市の職員は避難所の運営を支援員に任せ、仮設住宅設置の業務などを行うために市役所に戻る。

ボランティアの状況

阪神淡路大震災をきっかけに結成された災害ボランティア団体(被災地NGO恊働センター)のスタッフは、震災の翌日に宮城県に入った。大勢のボランティアを送り込む拠点を探すためだ。しかし、被害の大きい沿岸部は電気、通信が途絶え、ガソリンも不足する。内陸部を探してもガソリンが不足。スタッフは山形県米沢市に移動し、そこを拠点にすることを考えていた。
どうすればボランティア活動の拠点を築けるか。全国各地のボランティア団体が東京に集まり、議論した。話し合いでは、ボランティアを行おうとする50の団体がネットワークを作り、どこに宿泊場所があるかなどの情報を交換することになった。そして、石巻市に宿泊場所の提供者が現れ、21人のボランティアが現地に向かうことになった。震災から17日、ボランティアを送り込む仕組みができた。

スタジオトーク

室﨑益輝 関西大学教授:
行政の応援はおおきな隙間を埋めることができるが、小さな隙間はボランティアの力でしか埋まらない。震災後2週間は被災地のボランティアが働きづめで疲労の極地にある。これからは外からのボランティアが小さな隙間を埋めていくことが必要。

視聴して

東日本大震災が超広域災害となったことによって、震災直後は災害現場が極限状態にあったことが番組で報告されていました。
災害時の全国的自治体の動きや、ボランティアなど、被災地の外からのフットワークは迅速なものであることがわかりましたが、やはり震災直後は物理的な障壁(インフラ寸断、燃料不足など)が生じるため、支援が届くまでは被災地だけで数日を乗り切らなければならない現実があり、地域における防災計画や訓練などの重要性を改めて認識しました。